アマゾンプライムエンタメマニア

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どうしてだろう

熱狂的なファンではない私ですら三浦春馬さんの死は重い影を落としている。もの凄い喪失感。

 

なぜ。

 

2つのなぜが、重力に負荷をかけて気怠くさせる。

 

1つめのなぜ。

なぜ、彼は死を選んだのか。誰が何を言おうと全ては推測でしかない。

 

だから、闇のままだし

 

だから、人は推測してしまう。

 

 

ただ、誰かが口にした「魔が刺したのかな」。この言葉が、なんとなく負に落ちて、なんとなくしっくりきた。ただひたすらに、彼の最期が安らかであった事を願わずにいられない。

 

もう1つのなぜ。

一般人の私からすると、彼はブラウン管の向こう側の輝かしい俳優さん。友達でも、親族でもない。ましてや、面識すらない遠い存在。それなのに、彼の死がどうしてこんなも重く、涙を誘うのか。この3日間、投げ続けたどうしての、私なりの答えは、こんな私ですら喪失感を感じる程、彼は出演していた。という事。TVドラマにバラエティ、情報番組、CM、映画。つい昨日まで、もしかするとこれからも、意図せずとも日々の暮らしの中に画面を通して寄り添っていたのではないか。喪失感を感じるほどに。確かに、病気で他界される方の多くは自分より年配の方だったり、しばらく画面から遠ざかっている時間が長いので喪失感は薄い。悲しみの反面、闘病お疲れさまでした。と、いう気持ちになる。けれど、彼の場合は前日までいつも通りで、受け手に耐性ができていなかっただけに、喪失感が強い。そして、やはり何よりも自死という現実が、重い。病気や事故といった抗えない力ではなく、自ら選んでしまったその選択の重さ。

 

 

今回、初めて人は自分のためだけに生きているのではない。と、いう、映画「ちょっと今から仕事やめてくる」のフレーズが理解できた。死を選んだ事で周囲に与える影響は計り知れないのだなぁ。と。叔父は長年患った鬱病の末、やはり自死したけど、その時は悲しみと同時にようやくラクになれたのか…とも思った。鬱で苦しむ叔父をみていたから。でも、一見いつも通りに過ごす人のそれは、意味が全く異なるように感じた。

 

誰か、何か、できなかったのだろうか。

 

 

親しい方々はこの先長い時間苦しまれるように感じます。異変に気づけなかった?1人にすべきではかった?いつから苦しんでた?どうして一言でも弱音を吐いてくれなかった?逃がしてあげられなかった?周囲の方々の苦しみを思うと、これはこれで涙が出てきます。若い方の、才能あふれる方の、人格者の死は、これほどまでに多くの悲しみを残すのだと痛感しています。憎まれっ子世にはばかる。少しでも図々しく図太くいられれば違ったのでしょう。

 

 

こんなに遠い存在の人の死が、自分の暮らしに影響している現実が、やっぱり不思議で仕方がない。